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ハチドリのひとしずく#5_「子ども」が主語となる学校をめざすチーム担任制のトライアル

こんにちは。
関西創価中学校教頭の上原桂です。
今日は、チーム担任制トライアルをスタートするに至った経緯について書きたいと思います。


◆「チーム担任制」トライアル開始!

今年度、1・2年生は「固定担任制」をやめて「チーム担任制」へのトライアルを開始しました。「生徒たちには予測できない未来を主体的に生きていってほしい!」「多様な個性をもった生徒たちが、自分らしく過ごせる学校になってほしい!「そのような学校になるためにどうすべきか!?」そんな思いから話し合いを始めたところ、まず話題となったのが「担任制の在り方」についてでした。

チーム担任制は、よくチーム医療に例えられます。医療の世界では、患者にとって最善の治療を提供するために、専門性を活かしたチームで対応します。しかし、学校はというと「わたしが受け持つ生徒はわたしが対応する」という意識で、一人の担任がすべてを抱えていました。

チーム担任制に向けたプロジェクトチームの教員が作成したスライド

学校には多様な個性をもった生徒たちがたくさんいます。プロの教員として、どんな個性の生徒たちとも接することができる力が必要です。しかしながら、「わたしが受け持つ生徒はわたしが対応する」という思いが、結果的に、多様な個性をもった生徒たちを苦しめることになっていないだろうかと、考えることから始めました。

◆生徒たちが教えてくれたこと

ここである教員の声を紹介したいと思います。

クラスによって担任の色が出ると、その色に合う生徒はいいけれど、合わない生徒にとっては我慢の1年間となってしまいます。
私自身の経験にはなりますが、以前生徒より「〇〇先生はいつも元気ですよね。その元気よさが、実は体調が悪いときや悩んでいるときは鬱陶しく思ってしまいます…」と教えてもらったことがありました。
よかれと思っていた自身のスタイルは、合わない生徒にとっては辛い時間になってしまっているのだと、本当にハッとする思いでした。
ですので、チーム担任制になったら、様々なスタイルの教員と関わることができるので、生徒主体で考えると心地よい時間が増えるのかもしれないなあと…。

会議でのある教員の声

Aさんにとっての「いい先生」が、となりの席のBさんにとっては「しんどい先生」なのかもしれません。仮にそうだったとして、今の固定担任制では、自分の意志とは関係なく決められた大人と1年間関わり続けなければいけません。それが今の課題であると、わたしたちは考えました。

◆今年の担任はアタリ?ハズレ?

ご自身が子どもだった頃、もしくは我が子の担任について、「今年はアタリ!」「今年はハズレ!」という会話をしたことはありませんか?

この会話は、生徒たちはもちろん、保護者や教員にとってもハッピーな会話だとは言えません。学校とはこういうものだという固定観念を捨てて、みんなにとってハッピーな仕組みづくりができないか、新たな価値を創造する関西創価ならではのチーム担任制を模索したいとプロジェクトチームが始動しました。

生徒会入会式で委員会のアピールする2、3年生
委員会は全校から希望者を募り運営

「アタリ」「ハズレ」という概念は相対的なものです。経験あるベテランが結果を出せば、当然、他のクラスには「ハズレ」という印象を与えてしまいます。また「いい先生」であらねばという意識が強くなりすぎると、どんどん生徒に個別に手をかけることになります。手をかければかけるほど、生徒たちの中には、「うまくいけば担任のおかげ」「うまくいかないのは担任のせい」という考えが生まれてしまうかもしれません。これではいつまでたっても自律した生徒は育ちません。

・生徒が自律し、主体性が発揮される
・様々な教員によって、様々な観点で見守ることができる
・生徒は様々な教員と関わることで、多様な価値観に触れることができる
・「Aの内容については〇〇先生に、Bの内容については〇〇先生に…」と質問の内容によって生徒が教員を選ぶことができる
・生徒や保護者にとって、担任ガチャがなくなる
・生徒や保護者がより多くの教職員との人間関係が築くことができる
・教員の経験年数による技術の差が軽減される
・みんなでという意識による若手教員への負担軽減・教員間の連携が増えるため、良い取り組みを学び合う機会が増える
・それぞれの教員の得意分野を活かし合う仕組みができる
・先入観がないからこそ、生徒の変化に気がつきやすくなる

チーム担任制のメリットとして、挙がった意見
「どんなクラスにしたいか」
クラスメイキングをする1年生

話し合いを進める中で、「『いい先生』と言われたいのは、教員のエゴではないか」「教員が主語になっているのではないか」という声があがるようになりました。若手教員に「〇〇先生のおかげです」と言われることによる快感を捨てろ、というのはずいぶん酷だなという思いもありましたが、「自律した生徒が育つ学校へ」という最上位目的に立って、自分たちの快感よりも生徒の未来を考え、前に進もうとする若手の姿をとても頼もしく感じました。

◆変化をおこすには、信頼と勇気、そして覚悟

何事においても、新しいことを始めるのには勇気が必要です。新しいことを始めて、もしうまくいかなかったらという不安もあります。

・生徒たちは、どの教員に相談すればよいか分からないのではないか?
・中間層の生徒に対して、気づきが見えにくくなる?
・1年を通した成長が見えにくくなる?
・教員から関わりを持たなければ、教師と生徒の関係性が薄くなる?
・教員間の情報共有が大変?
・学級担任としての楽しさややりがいの機会は減るのでは?
・全員が担任という思いを共有できないと、特定の教員に負担がかかってしまうのではないか?

チーム担任制の懸案事項として、挙がった意見

以上のような懸案事項を挙げ、システムとマインドセットの両面から対処方法を考え抜き、見通しをもってスタートしました。
(ですので、心配なことがあればいつでもご相談ください!)
もちろん、実際にスタートすれば、予想外の出来事が生じる不安もなかったわけではありません。

そんな不安や葛藤の渦中、年明け早々、あるニュースが目に飛び込んできました。そのニュースは、飛行機の火災時に、クルーの適切な判断がすべての乗客・乗員の命を救ったという内容で、乗り合わせたクルーの多くは入社年数の浅い若手だったということが報じられていました。

私は、若いクルーが予想外の火災の状況を見極めて、的確に決断できたのは「自分の決断を周りの人たちが信じてくれる」という日頃からの信頼感があったからだと思いました。このニュースを通して、チーム担任制に限らず、互いを信頼しあえる関係性を築くことが何より大事であり、その関係性を築くことができれば、何があっても大丈夫だと思うようになりました。そして、初めての試みについて、生徒や保護者の皆様が抱く不安の声に、誠実に向き合う覚悟がなければ、何も始まらないと腹が決まりました。

森万喜子著「『子どもが主語』の学校へようこそ!」
教育開発研究所

チーム担任制でめざすのは、教員が生徒を「育てる」という教員が主語の学校ではなく、生徒が「育つ」という「生徒が主語」の学校です。そして「〇〇さんの担任は誰?」と聞かれた生徒が、「わたしの担任の先生は関西創価中学校の先生みんな!」と返ってくるような関係性を築くことです。
(もちろん、教員にも「〇〇先生にとって、クラスの生徒は何人?」と聞いたときに、「190人です!」「205人です!」「202人です!」「597人です!」と返ってくるような学年団であり、「チーム関西創価」になることです。)

まずは、全校生徒597人の顔と名前を完璧に覚え、一人ひとりに声をかけている古賀校長に続くことがわたしたち教員の目標です。「こんな校長どこにもいない!」と信頼している古賀校長については、いつかじっくり書きたいと思います。

子どもが主語の学校は、子どもたちの場所です。何ができるとかできないとか、そういうことは関係なく、あなたがこの世にいて、この学校の生徒で、目の前にいてくれてすごくうれしい。ここで学んで、生活して、人を助けたり助けてもらったりしながら、自分の幸せを自分でつかめる、そんな人になってほしいのです。ここは、ここで学ぶ子どもたちの場所なのです。

森万喜子著「『子どもが主語』の学校へようこそ!」より



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