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ハチドリのひとしずく#9_安心できる場所はいくつあってもいいんじゃない?

こんにちは。
関西創価中学校教頭の上原桂です。
今日は、サポート部の部長として、本校の取り組みの一つを紹介したいと思います。


◆学校とパーソナルスペース

大人になって、新幹線の座席を選ぶときやカフェでテーブルを選ぶとき、映画館の席を予約するとき、隣りの席が空席だったらいいなと思うことはないですか?
大人になって、興味がない話を長時間聞かないといけない状況のとき、どこか息抜きができる場所があればなぁと思うことはないですか?

わたしは、どちらも多いにあります。

パーソナルスペースは、
①密接距離(0~45㎝)
②個人距離(45㎝~1.2m)
③社会距離(1.2~3.5m)
④公衆距離(3.5m以上) 
と4種類に分類することができます。
密接距離とは、「会話はもちろんスキンシップもできる距離」で、「家族や恋人など極めて親しい関係性の人に許される範囲」です。

「オフィスレイアウトを考える際は、120cmのパーソナルスペースが確保できるようなレイアウトを考える」といったデータや、「勉強する女子大生の隣に知らない人が座るという実験では、30分以内に70%の女子大生が席を立ってしまう」という結果もあるそうです。

そんな中で、一般的な学校の教室において子どもたちは、1時間目から6時間目まで、ほとんどの時間、「密接距離」または「個人距離」に誰かがいることになります。もちろん、クラスメイトは、「極めて親しい関係性の人」といえるかもしれませんが、1日中、「密接距離」や「個人距離」に誰かがいることに疲れてしまう子もいるかもしれません。

他にも、それぞれの特性や、その日の体調、例えば、出かける前に兄弟とケンカをしたとか、家族に叱られたとか、電車で嫌なことがあったとか…大人にとっては「そんなささいなことで」と思うことでも、思春期の生徒たちにとっては心が揺れて、その日、教室にいることが「しんどいな」と感じる子がいてもおかしくありません。

◆ホッとできる場所は人それぞれ

そんなとき、少し教室から離れてクールダウンをしたり、ホッとしたり、エネルギーをチャージしたりする場所があるかどうかはとても大事なことだと感じています。「人がたくさんいるところにいるのはしんどいな」「今日はなんかイライラするな」と感じたときに、家が安心できる場所の子もいれば、職員室に来ると安心する子、保健室に行くと落ち着く子、カウセリングルームに行くと緊張がゆるむ子、風に揺れる緑が見える渡り廊下や、廊下のソファ、静かな図書館に行くとホッとする子など、安心する場所は本当に人それぞれです。
(本音をいえば、学校のどこかに秘密基地のようなテントがあればいいのにと思うほどです。)

さすがにテントははっていませんが、本校では、4年前から「サポート部」が発足し、保健室でもカウセリングルームでもない、もう一つの居場所づくりを始めました。

ホッと一息「万葉クラブ」
そのときの気分で席を選びます
棚とパーテーションで区切っています
ゲームやバランスボールでリフレッシュ
国語の個別授業
数学の個別授業

◆「〇〇グセ」は心配しなくても大丈夫!

「一度学校を休んだら、"休みグセ"がつくんじゃないか」「教室がしんどいからといって授業を抜けたら、"抜けグセ"がつくんじゃないか」「嫌なことがあったからって逃げると"逃げグセ"がつくんじゃないか」そんな声を聴くことがありますが、子どもたち見ているとそんなことはないように思います。

子どもたちにとって、教室で友達とワイワイできる時間は、とても楽しくかけがえのない時間であることにかわりはありません。ですから、エネルギーが足りなくて集団の中で過ごすことがしんどくなったときは、エネルギーが満ちるまで羽を休められるような場所が必要ですが、エネルギーが蓄えられると、みんなの中に自分から帰っていきます。エネルギーが蓄えられるまでの期間は人それぞれで、1時間の子もいれば、1日の子も、数週間、数カ月、中には年単位といった子もいますが、中高一貫校である本校では、6年というスパンで社会に出るための準備ができるという強みがあります。
肝心なのは「絶対大丈夫!」「この子らしい花は必ず咲く!」と信じきって待つことができるかどうか、大人が試されているように思います。

「待つ」と「放任」、「尊重」と「言いなり」というのは線引きが難しいと常々感じています。そして、あるとき先輩が教えてくださった「優しさの中に甘さがあってはいけない。厳しさの中に冷たさがあってはいけない」という言葉を常に自身に問い続けたいと思っています。

藤原武男著「子育てのエビデンス」

◆「選択肢」を増やして、安心を増やす

さて、「そんなことをしてると、社会に出たときに困るよ」「社会は厳しいよ」とついつい言いたくなるのが大人です。
(もちろんわたしも、社会には社会人としての責任や厳しさがあると思います。)

ですが、大人は気分転換にデスクでコーヒーを飲んでいますし、「トイレに行っていいですか?」と聞かなくてもトイレに行くことができます。また、机の引き出しにチョコレートをしのばせて、オフィスワークの合間に、口に放り込んだりすることもできます。
もちろん「職種によって色んな決まり事はあるにせよ」です。職員室においても、教員はパソコンを持って自由に移動して、作業スペースを選んだりしています。
このような「社会の厳しさ」というほどのレベルではない、身なりやささいな過ごし方において、多くの制約があり、選択肢が少ないのが「学校教育」の課題だとわたしは感じています。

本校では、授業でも、居場所づくりという点でも、少しずつ「選択肢」が増やせるように挑戦を開始したばかりです。どんな特性、個性をもった子も、どんな悩みや心配ごとがある子も、ここなら安心してありのままの自分を出すことができる、そんな学校づくりが目標です。

思春期まっただ中の「今」、家のこと、自分のこと、友達のこと、勉強への苦手意識、将来への不安、様々なことが重なって、集団の中で過ごすエネルギーが足りなくなったときに、安心してエネルギーを蓄えられる場所で過ごすことは、甘えでも何でもなく「未来への確かな一歩に繋がる」と、「万葉クラブ」を巣立っていった多くの卒業生が教えてくれています。彼らの高校生活についても、いつか書ければと思います。

子どもの幸福とは、子どもにすべてが与えられることでも、すべてが自分の思い通りになることでもない。自らがやりたいと思うことを自覚し、それに取り組むことができる環境があり、起こるであろう困難を乗り越えながら、実際に試行錯誤を繰り返す中で人間的に成長することではないだろうか。

藤原武男著「子育てのエビデンス」より