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ハチドリのひとしずく#19_ 「教育の目的は子どもの幸福である」とは言うけれど…

こんにちは。
関西創価中学校教頭の上原桂です。

先日、東洋大学で開催された「ルールメイキングサミット2024」に行ってきました。参加しようと思ったきっかけは、本校の高校3年生の生徒が「ルールメーカー100」の一人として選ばれて参加すると聞いたことと、以前、お話を伺って大変共感した慶應義塾大学の中室牧子教授が登壇されると知ったからです。

この日は、午前中は東京大学附属中等教育学校で行われたオンラインシンポジウム、午後は「ルールメイキングサミット2024」、夕方からは東京大学教育学部の大学院生の発表を聴くという、実に濃い1日でした。

参加した3つの場に共通していたのは「どうしたら子どもの人権を守れるか」「子どもたちが安心して過ごせる場所をつくるために大人ができることは何か」を考える機会になったということです。

昨年の4月、子ども家庭庁が創設されると同時に「子ども基本法」が施行されました。「子ども基本法」では、「子どもの意見を尊重し、意思決定に参加できる場を提供することで、子ども自身が自らの未来を形作る力を持てるようにすること」が目指されています。
(詳細は、子ども家庭庁のホームページをご覧ください。)

子ども家庭庁のホームページより

では、今、なぜこのようなことがあらためて見直されるようになったのでしょうか。なぜ、これまで多くの人が疑問を感じながらも、「ブラック校則」と言われるルールや、部活での行き過ぎた指導や体罰、身体的な虐待や教育虐待によって、子どもたちの人権がおびやかされる状況が続いてきたのでしょうか。

「これが理由に違いない!」というには、まだまだ勉強不足ですが、これまでの「家族制度」や「儒教的価値観」「国家主義的な教育方針」そして「労働力としての子どもの役割」など、歴史的・文化的背景が影響し、「子どもは大人の言うことを聞いて当たり前」「子どもは黙って大人のいうことを聞くもの」という空気ができあがっていったのだと感じています。(このあたりについては、じっくり勉強したいと思っています)

もちろん、圧倒的な識字率の高さや、大震災のときに給水所で整然と並ぶ日本社会の「規律正しさ」やワールドカップのあと、スタジアムをきれいにするサポーターの存在など、世界に賞賛された「日本的価値観」「日本の教育」のよい点は認めた上で、今一度「課題」については見直し、アップデートする必要があるのではないかと思います。

本校の教育の原点である「創価教育学体系」において牧口常三郎先生は「教育の目的は子どもの幸福である」と明言されてます。

「教育の目的は子どもの幸福である」という一点においては、子どもにかかわる多くの大人は、共感するのではないかと思います。しかし、「何が子どもの幸福か」という点においては、千差万別で「正義の反対は悪」ではなく、「正義の反対はだれかの正義」といった状況になっているように思います。

例えば、「補習をすべきという教育観」も「自律学習が大事という教育観」も「教科学力こそ基本という教育観」も「非認知の力こそが必要という教育観」も対立しているように見えるけれど、どれも「これこそが子どもの幸福のためになる」と考えているに違いありません。

ですから、わたしたちにとって何より必要なことは、「子どもの幸福とは何か」という「最上位目的」について、きちんと合意形成する必要があるということです。

「子どもの幸福」について考えるときに、わたしたち大人が前提として忘れてはいけないのが、「不登校児童生徒数は29万9048人、小中高生の自殺が514人」(「令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」(2023年10月発表)となり、「統計開始以降、過去最多」という現実です。(もうすぐ令和5年度のデータも発表になると思います。)

「これまでの教育のあり方」が、約30万人という子どもたちにとって「学校が安心して過ごせる場所でない」という現実をうんでいるとしたら、「これまでの教育のあり方」「これまでの大人が考えてきた子どもの幸福」について、一度立ち止まって問い直す必要があるのではないでしょうか。

子ども基本法が施行され、「子どもは黙って大人のいうことを聞いていればいい」ではなく、子どもたち自身が自己選択、自己決定することが「当たり前」の社会になるにはどうしたらいいか。それと同時に、「自己選択」「自己決定」なのだから「すべては自己責任」と突き放すのではなく、「迷ったり困ったら、周りの人に頼って大丈夫!」という安心感をどう育むか。

本校では、今年度より「チーム担任制」や「英語や数学の選択授業制」を通して、まずは「自分の考えをもつ」練習、「自分の考えを伝える」練習、「自分で決める」練習ができる学校づくりをスタートしました。そんな毎日の中で、日々感じることは、大人が変わることの難しさです。

これまでの大人がよかれと思って目指してきた「子どもの幸福」について、一度横に置いておいて、子どもたちはもちろん、子どもたちをとりまく教職員、保護者のみなさん、地域のみなさんとともに、これからの未来を生きる「子どもの幸福」について、語りあい、考え続けたいと思います。

「子どもの幸福とは〇〇である」あなたは、〇〇に何をいれますか?

古川敦著「幸福に生きるために 牧口常三郎の目指したもの」

牧口常三郎は、人間の幸福という観点から、子どもの直観力をみがき、豊かな感性を養うような教育のあり方を、強く志向していたのである。何が起ころうと、へこたれず、自分の力で考え、調べて、価値創造の道を切り開き、自身の知恵と力を、かぎりなく高めていく。そういう力強い人間を、心の底から求めていた。(略)教育とは、知識を授けることでは決してない。それは、子どもたち自身が、新しい価値を発見していくことなのである。

古川敦著「幸福に生きるために 牧口常三郎の目指したもの」