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ハチドリのひとしずく#20_「庶民の私学」の心意気。

関西創価中学校教頭の上原桂です。
先週も、授業公開、受験生向けの学校見学会、五ツ木・駸々堂模試の会場での保護者セミナーと、怒涛の1週間でした。


◆心がざわついたXの投稿

そんな毎日の中、ずっと頭の片隅にあって、思い出すたび心がざわついたのが成田修造さんの次の言葉です。1.4万リツイートされ605万回表示(この記事を書いている10月28日現在)されているので、ご覧になった方も多いかもしれません。

富裕層の人たちの動向を見ていると、皆これからの日本に危機感を持っているのか、日本の教育は子供に受けさせずインターとか海外留学前提の教育をやってる。受験もあんまやってない(やっても小学受験の慶應や青学みたいな超ローカルエリート系)
正解はわからないが、今の日本の教育をまともに受けさせてもダメということだけは暗黙の合意があり、世界基準を学び揉まれる方向を目指してるなという印象。そしてそれに呼応してたくさんの有力インターナショナルスクールが日本に進出している(多分今後5年10年で、世界中の優れた学校が日本に進出してきます)
大学においても、もはや法学部や医学部よりも、今や東大松尾研などのAIやコンピュータサイエンスが人気になり、そこではどんどん起業家が生まれ大金持ちも生まれている。大企業に就社するっていうマインド自体が古くなってきていて、起業して失敗しても成功してる会社に入ればいいから問題ない、みたいなシリコンバレー的な感じになりつつある印象。
そもそも東大(および法学部とか医学部)を最高学府としたヒエラルキー的な勉強や、それを早期にやらせる中学受験自体が古くてガラパゴス化してる印象があり、その東大であっても昔ながらの大企業就職モデルも最先端ではなくなっている
一番の課題はそのような社会の流れに親世代が気づけるか、だけど、それはすごく難しいことで、これが構造的問題なんだろうと思う(特に狭いコミュニティにいるとどうしても思考が固定化する)
頑張って早期学習して、いい大学に入って、いい会社に入る、みたいなモデルを想像して受験させる人が多いのだけど、その目標設定自体がこの人口減の停滞気味の国においてはズレてて、自分の人生を自分で考え自分で切り開く、という、いわば当たり前のことをどれだけ学べるかが重要になってきます  そのためには、親が勉強して、考えをアップデートして、それを子供に伝え、頑張る気持ちが芽生えるまで根気強くサポートしていくことなのでしょうと思う

成田 修造 / Shuzo Narita@shuzonarita 2024年10月21日午後8:06 投稿「X」より

成田さんのこの言葉のどこに心がざわついたのか。それは「富裕層は」気づいているという論調、それに「狭いコミュニティにいるとどうしても思考が固定化する」という言葉です。「はたして自分は気づいている側なのか」という一人の大人としての責任を強く感じるとともに、私学という同質性が高い上に転勤がないシステムの中で、気づかないうちに「狭いコミュ二ティで思考が固定化しやすい危うさ」をはらんでいるのではないかと感じたからだと思います。

◆「情報量と感度のギャップ」

先日、Ashiya Education Dayのシンポジウムに行った際(成田さんのXを見る3日前のことです)、慶応義塾大学の中室牧子教授と熊本大学の苫野一徳准教授が対談の中で、「大人の間で、150年続いてきた今の日本の教育の課題のとらえ方に差があるのは、情報量と感度のギャップであり、この差をうめるのは対話しかない」とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。

中室先生や苫野先生がいう「情報量と感度のギャップ」と、成田修造さんがいう「社会の流れに気づけるかどうか」「自分の人生を自分で考え自分で切り開く、という、いわば当たり前のことをどれだけ学べるかどうか」「アップデートできるかどうか」の差って同じことなのではないでしょうか。そして、日々の生活の中で強く感じるのは、自分たちが受けてきた教育とは全く違う教育、自分たちが生きてきた環境とは全く違う未来を想像することがこんなにも難しいのか、ということです。

わたり廊下から見る夕焼け

◆「庶民の私学」

さて、「富裕層の人たちの動向を見ていると」で始まるこの投稿。富裕層の定義はわかりませんが、本校は、いわゆる「富裕層」が通う私学ではありません。実際、授業料をみても、本校は大阪で「年間学費が安い私立中学校ランキング(共学校)」で2位。(男子校・女子校・共学校あわせても、かわらず2位です)

いつの時代も世界をつくってきたのは庶民のはず。「気づいていない側」「当たり前のことを学べていない側」「アップデートできていない側」ではなくて、「庶民の私学」だって、未来を、世界を、視野にいれた教育を開始したんだよ、ということを心から叫びたい!

とはいえ、ただいま生みの苦しみの渦中にありといえます。昨年来、教員が学びに学び、対話に対話を重ねてスタートしたさまざまな取り組みですが、これまで主体性の「主」の字も与えられずに来た子どもたちにとって、「自己選択」「自己決定」が大事と言われても、うまくいくことばかりではありません。「うちの子は正しく選択ができないのではないか」というお声があるのも当然。

◆主体性を奪ってきたのは…

この点については、大人の指示通りに行動する子を「いい子」としてほめたたえ、主体性を奪う教育をしてきた自分たちを反省するばかりですし、手をかけることが「よい教育」だと考え、「いかにサービスを提供するか」ばかりに終始し、子どもたちを「お客様」にしてしまった責任は、間違いなくわたしたちにあります。

その点をしっかりと反省した上で、いまだ主体性をとりもどすための「リハビリ期間」にある子どもたちのとまどいや葛藤に寄り添い、見守りながら、庶民の学校であっても(庶民の定義って何でしょうね)「世界基準」の学びを手に入れられるし、未来をひらけるという証明をこの交野の地から発信していけたらと考えています。

校舎を照らす満月

生徒のみなさん!
授業もクラスも学校も、つくるのは、だれでもないあなたたちです。「大学は大学に行けなかった人のためにある」とは、本校の創立者の言葉です。私立に通うことを応援してくださる家族に感謝しながら、1時間の授業、1日の学びを、未来の自分にとって「価値ある」時間に。そして身につけた力を自分はもちろん、だれかの幸福のために使っていける「世界基準」の大人をめざして、一緒に進んでいきませんか?

そして、そんな「世界基準」を目指す子どもを支える周りの大人のみなさん!「考えをアップデートして、それを子供に伝え、頑張る気持ちが芽生えるまで根気強くサポートしていく」そんな大人のつながりをひろげていきませんか?