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ハチドリのひとしずく#17_「忘れもの」とメタ認知

こんにちは。
関西創価中学校教頭の上原桂です。

みなさんは、最近、なにか『忘れもの』をしましたか?

わたしは、スマホを忘れて家を出て、「あっ、やってしまった」と思うことがあります。しかし、パソコンやスマートウォッチがあれば、かわりがきくことが多く、以前ほど「やってしまった。どうしよう…」と焦らずにすむようになりました。

最近は、出先で忘れものに気づいても、コンビニで調達できることも増えましたし、出先で資料の不備に気づいてパソコンで更新作業をしたとしても、コンビニで最新の資料をプリントアウトをすることもできます。

「何かあったときにどうすればよいか」という方法を知っていたり、誰かに「助けて!」と頼ることができるマインドがあれば、たいていのことは何とかなる、と大人になった「今」は思えるようになりました。


◆子どもの頃「忘れもの」は恐怖でした

しかし、小中学生の頃、こんな風に思えていたかといえば、全く違います。たびたび書いていますが、小学校低学年のときの担任の先生がとても厳しくて、『忘れもの』をした子は一列に立たされて、先生がビンタをしていく、そんなことがありました。(昭和の頃は、まだそんな指導が許されていたんですね。そして、「みんなを叩く、先生の手も痛いんだよ!」というのが、保護者の間でも美談として語られる、そんな時代でした。)

小中学生の子どもたちにとって、「『忘れもの』をしてしまった!」と気づいたときの気持ちは、大人が想像する以上に、「どうしよう!!!!!」という気持ちでいっぱいのはずです

「叱られるんじゃないか」「クラスのみんなにどう思われるだろう」「あぁ、なんで忘れちゃったんだろう」……逃げ出したくなったり、落ち込んだり、自分を責めたり、とてもゆううつな気持ちになっていると思います。

◆『メタ認知』できることが大切

「忘れた!」と思ったときに、いかに代替手段を考えられるか、これが必要な力です。

「自分は忘れものをしやすい」と、自分を「メタ認知」できているか、そして「『忘れもの』をしないために、どうすればよいか、自分なりの方法を知っている!」ということが何より必要な力です。

メタ認知とは、「自分が認知(考えている・感じている)していることを客観的に把握すること」です。自分が何かをしたときに、自分の中のもう一人の自分が冷静に見て、自分の行動を振り返られるかどうか、の力です。

ですから、「忘れもの」をしたときに、自分の行動を振り返って「自分は忘れものをしやすいんだな」「いつもこういうときに忘れやすいな」「忘れものをしないために、次は手に書いてみよう」「スマホのリマインダーを使ってみよう」「いつも見るchromebookにふせんをはっておこう」「友達に声をかけてって頼んでおこう」そんな風に、自分にとっての解決策を考え、行動できる子どもたちが育ってほしい、と考えています。

◆宿泊行事の持ち物の準備は誰がする?

本校では、10月の終わりに、1年生と3年生が宿泊行事を行います。(2年生は6月に行いました。)「宿泊行事あるある」なのが、呼びかけても、最後まで持ち主が現われない『忘れもの』があることです。(持ち物には記名を!と呼びかけてはいますが、タオルや着替えなどには記名がないことも多いです。)

浴室や部屋に残った『忘れもの』について、自分のものだという認識がないのです。その理由の一つとして考えられるのが、「自分で持ち物のパッキングをしていない」ことです。ご家族の方が「忘れものをしたら困るだろう」「この子には旅行の準備はまだ無理かも」と「よかれと思って」準備をすると、子どもたちにとっては、「自分の知らない」タオルや着替えが入っていることになります。ですから、『忘れもの』について呼びかけられても、「自分のもの」とは思わず、とりにいくこともありません。

宿泊行事で、もしも「持ち物リスト」にあるものを忘れたとしても、代替不可能なものは、ほとんどありません。

もちろん「えっ、中学生なのに親がパッキングしてたの?」と驚かれるご家庭も多いと思います。ですが、割と多くの子どもたちから「準備してくれていた!」という声を聞きます。

#13でも書きましたが、「教育とは死にいたらない失敗を安全に経験させるためのもの」と考えています。

学校で経験する『忘れもの』は、経験値をあげるためのよい失敗といえます。(昭和に育ったわたしたちは、忘れ物をして厳しく叱られたり、「そんなんじゃ社会に出たときに困るよ」と言われた経験があるので、忘れものはだめなこと!と思いこみすぎているかもしれません。)

残念なことがあるとしたら「忘れもの」をしたことではなく、その後、どうしたらいいか、どんな代替手段があるかを考えなかったり、「困ってるから助けて!」と助けを求められないことです。

大事なのは、「忘れもの」をするという経験を通じて、「自分は、こういうときに忘れちゃうことがあるんだな。だから、忘れないためにこういう方法をとる必要があるんだな」とメタ認知をし、その後の対処方法を一つでも多く探せるようになることです

宿泊行事の用意、子どもたちに任せませんか?

大人が先回りをどれだけやめられるか、「〇〇忘れて、困ったわ」と帰ってきたら、「じゃあ、次どうしたら忘れないと思う?」そんな会話も含めて、宿泊行事の学びになればいいなと思います。

ここで一番大切なのは、自分の弱み、課題、解決策をすべて子どもたち自身に考えさせることです。問題解決の仕方を一方的に大人が教えてしまうと、子どもたちは「極める力」を身につけることができません。問題が解けずに頭を抱えている子どもを目の前にして、「教えてあげたい」と思う気持ちはとてもよくわかります。愛する我が子のことであればなおさらでしょう。しかし、そこは我慢のしどころです。いくら答えや問題の解き方を知っていても、あるいは上達する方法を知っていたとしても、それを直接教えるのではなく、あくまでも子どもの横に寄り添って、さりげなくアシストすることが重要です。

神野元基著『人工知能時代を生き抜く子どもの育て方・今、何をどう教えるべきなのか!』