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ハチドリのひとしずく#22_映画「雪の花ーともに在りてー」とドラマ「御上先生」

こんにちは。
関西創価中学校教頭の上原桂です。
先日の生徒総会で、生徒会、議長団の生徒たちが話しあった「2025年度生徒活動方針」が発表され、生徒たちは今、2月22日に迫った探究学習発表会、そして3月16日の卒業式をめざして、さまざまな活動に挑戦中です。

さて、そんな毎日の中、見終わったあと、とても晴れやかな気持ちになる映画を見ました。タイトルは「雪の花ーともに在りてー」。この映画は、江戸時代末期の福井藩を舞台に、多くの人命を奪う疫病から人々を救おうと奔走した実在の町医者・笠原良策の姿を描いた作品です。

「種痘」という概念がまだ広く知られていなかった当時、無理解と偏見に立ち向かい、次々と困難を克服していく一人の町医者とその妻、そして彼の信念にふれて変わっていく人たち。

名誉やお金よりも、生涯、町医者として「村の人たちの命を守るために生き抜く」と決めた主人公の生き方を通して、「『仕事』って、『働く』って、こういうことだよね」「使命を自覚した人間ほど強いものはないなぁ」「同じ生きるならスカッと生きたい!」と、見終わったあと、とても幸福な気持ちになりました。

もちろん現実はもっと複雑で、そんなに簡単に無理解や偏見の壁は克服できないのかもしれないけれど、覚悟ある「一人」の偉大さを感じるには十分な映画でした。

そして、テレビから聞こえてきたセリフに「こんなことを登場人物に言わせるドラマが始まったんだ」と見始めたのが、日曜ドラマ「御上先生」。
(偶然にも「雪の花ーともに在りてー」も「御上先生」も主役は松坂桃李さんでした。)

エリートは、ラテン語で『神に選ばれた人』という意味だ。
そのため、この国の人たちは、エリートを、高い学歴を持ち、
それに相応しい社会的地位や収入のある人間のことだと思っている。
でも、そんなのはエリートなんかじゃない。ただの上級国民予備軍だ。

みんなどんな思いで今受験勉強してる?
過酷な、過酷過ぎる競争を勝ち抜いてようやく掴み取った人生が
上級国民で本当にいいの?
言ったよね、エリートは神に選ばれた人だと。
なぜ選ばれるか。
それは普通の人間なら負けてしまうような欲やエゴに打ち勝てる人だから。自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人だから。
僕はそこに付け加えたい。
真のエリートが寄り添うべき他者とは、つまり弱者のことだ。

日曜ドラマ「御上先生」第1話より

エリート」「弱者」をどう定義するかについては、ひとまずおいておきますが、本校の創立精神でもある「健康な英才主義」「人間性豊かな実力主義」に通じる考え方が語られるドラマが始まるなんて、今後の展開がとても気になるドラマになりました。

そして、最近はテレビ離れが進んでいますが、

エリートとは、普通の人間なら負けてしまうような欲やエゴに打ち勝てる人であり、自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人であり、
他者に寄り添える人。

この言葉を子どもたちも聞いていたらいいなと思いながら、見ていました。実際、ある教員は、寮の担当のときに(本校には遠方で通学できない生徒のための男子寮があります)「土日、時間があるならTVerで御上先生を観るように言いました」と話していました。

以前、note( ハチドリのひとしずく#20₋「庶民の私学の心意気」)で、本校の創立者の「大学とは大学に行けなかった人のためにある」との言葉を引用しました。この言葉が示すように、本校の創立精神の根底にあるのは、他者貢献の生き方です。

それは決して「自分を犠牲にして他者のために生きる」というのではなく、「だれでも、自分にしかできない方法で、他者の幸福のためにできることがあるんだ!」「自分には自分にしか果たせない使命があるんだ!」ということに気づく3年間、6年間である、ということです。

わたし自身も、本校の卒業生の一人として、在学中、創立者をはじめ、当時かかわってくださった先生方や先輩、色んな方と接する中で、「こんな自分になんて、何もできない」と自分の可能性をあきらめるのではなくて、「こんな自分にも、何かできることがあるんじゃないか」「こんな自分だからこそ、できることがあるはず」「いや、できることをみつけるんだ!」と、悩み、あがき続けた3年間、6年間だったように感じます。

この歳になっても「今の自分にできることは何か」と、あがき続ける毎日です。きっと死ぬまで「これでよし!」と思える日はこないのかもしれません。しかし、そんな毎日を幸福だと思えるからこそ、この生き方を子どもたちにも伝えていきたいと日々の教育活動を行っています。

この世界から天然痘で苦しむ人をなくしたいと奮闘した一人の町医者・笠原良策も、150年間変わらない教育現場で、現場にはびこる矛盾や昔ながらの慣習に立ち向かいながら、どこまでも子どもたちの真の幸福とは何かを問い続ける御上先生も、「どこか遠くにいるだれかではなく、今ここで学んでいる一人ひとりの未来の姿なんだよ」そんなメッセージをこれからも伝え続けたいと思います。

吉岡秀人著「一歩を踏み出す50のコトバ」

べつに感謝なんかされなくてもいい。
だけど「たしかに命がつながった」という証を、そっと遠くから見たい。
それだけで幸せだ。
そういう生き方を僕はしたいし、君たちにもしてほしい。
他人の評価や、社会の評価からも離れて、人として正しいことをする。
それが、たしかに世の中にとって役に立ってるとか、意義があるというようなことを、生き方の基準においてやってみたらどうだろう。

 吉岡秀人(ジャパンハート最高顧問/医師)著「一歩を踏み出す50のコトバ」より